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当前位置 : gay>耽美>♂ゲイ小説 Just the Way You Are(01/42)

♂ゲイ小説 Just the Way You Are(01/42)

编辑:耽美 时间:2008-08-01 Tag:ゲイ小説 Just   The   Way   You   Are  

あまりオンボロには見えなかった――このアパートは、築後三十五年にもなっていた。外壁を巧みに塗り直すなどして、上っ面だけは取り繕ってあったものだから、あらためて三十五年と聞かされてしまうと、誰もが一度びっくりし、そして意外な古さに感心してしまった。実は、ずいぶんと年季が入った木造モルタル・二階建てだったのである。
 ――葵荘――。
 どこにでもありそうな、平凡な名前だった。
 このアパートからは中延商店街が割と近かった。その点を注目するのであれば、なるほど大いに便利だった。食材から衣類、日用雑貨、家具や電化製品など、この商店街で、大抵の物品は手に入るからだ。望むとあらば、旅の予約まで可能である。
 中延西の一帯には、都営地下鉄・浅草線および東急大井町線の中延駅と、東急池上線の荏原中延駅が控えており、旗の台駅にしても遠くない。だから、交通の便も悪くなかったということにはなる。都心へは、五反田を経由して出る。五反田までは、地下鉄を使って十分を要する程度だろう。いや、もっと早いのかも知れない。仮に電車が不通になったとしても、テクテク散歩がてら行けば、すぐに着いてしまう距離である。
 これで充分満足とも思えるが、葵荘の取り柄というのは、そのぐらいのものだった。あとは差し当たって、何がどうしたと特段に褒められることも無かった。要するに、ごく在り来たりな骨董級アパートだったと、そういうわけである。
 そして、この小さな部屋は、間取りにして僅か2Kだった。
 ――101号室――。
 その部屋番号が示していたように、アパート・葵荘の一階に存在した。
 玄関は、狭い私道の路地を突き当たったところだったが、夜のあいだ薄暗いことが難点だと言えたものの、出入りそのものに関しては楽だったし、これまで治安上の問題は発生していなかった。玄関に向かって左側が、二階へと上る、手摺りの付いた階段になっていた。その奥のほうには、さらにもうふた部屋があった。
 さて、
「ただいまーっ!」と明るい声を出し、玄関のドアを閉めた若い妻は、ここのところ、――そう、このおよそひと月ぐらいに亘ってのことなのだが――、こうやってドアを閉めるたびに、
(変よねえ、もう……)
 首を傾げながら鍵を掛けていた。
 それまでとは、明らかに様子が違っていて、ドアを閉めきろうとするのにプラスアルファの力が要求されたからだ。無闇にドアへ加わる圧力で、
 ――キュン
 尻上がり調に、木材が擦れた苦しそうな音が残った。そして、ドアを開けようとするときは、
 ――ビョーン
 弾むような具合いに勢い良く開いた。
 その都度、若い妻は訝しい面持ちになり、
(何だか、だんだんと、このドアの建て付け、悪くなってないかしら? いやねえ)と、率直に愉快ならざる心情を表していたのである。
 若い夫婦の、この新しくない木造アパート住まいが、そろそろ四ヶ月目に入ろうとしていた。
 どうせ、また、じきに夫の転勤が控えているのだろうからと予想して、すっかり慣れた我慢生活を、さらにさらに続行中だったわけだ。二十四歳になっていた若い夫は、札幌に本社を構える、まさに全国展開を始めたばかりの中堅のビル管理・警備会社に就職しており、彼は、新規テナントの獲得に奔走する営業最前線に従事していた。いわゆる転勤族だったので、結婚して三年にもなっていたというのに、この若い夫婦には、まだ子どもがいなかった。転勤の頻度が甚だしかったからである。セックスの回数は若いなりに多かったようだが、本格的に子どもを作ることは躊躇していた。コンドームが日々の生活必需品だったわけである。
 札幌本社に入社したのに、早速、青森営業所に飛ばされて十ヶ月間勤務し、次に長野の事務所で一年勤め、続いて新潟営業所に十ヶ月いて、それから、ここ東京支社に着任して、以来四ヶ月になるのだ。高卒で採用されたから、このような貧乏くじを引かされたのだと、若い夫は歳より大人で、もの分かり良く諦めていた。プラス思考を心掛け、いろいろな土地を渡り歩くのは嫌ではないと思うことにしていた。ましてや、憧れの地・大東京で生活できるなど、まるで、ご褒美のようなものだと感謝さえしていた。
 こんにちにしては珍しく、この若い夫婦は、まことに純朴で生真面目だったのである。
 きっと、あと半年もすれば、またどこかへ転勤させられるのだろうからと、この若い夫婦にとって住まいの良し悪しなど、ここまでのところどうでも良かった。やはり、もの分かり良く諦めていたから、住めるなら、どこでも構わなかった。
 ――なので、葵荘が旧式アパートなりに、どんな不便があろうとも、細かなことはいちいち気にするまいと、二十一歳の若い妻は、しっかりと自分に言い聞かせていた。
 だが、ここへ来て、徐々に玄関周りが不気味に歪んできたとも想える状況は、さすがに好ましくないと感じていた。
「おかえり」と、若い夫が言った。
「ねえ、ター君……。気付いている? 玄関のドア?」
 サンダルを脱いで二~三歩進むと、そこはもう食卓で、
「どうかした?」
 食卓を挟んだすぐ向こうに、エプロンを着けた若い夫が味噌汁の味噌を溶かしている後ろ姿が見えていた。
「開け閉めが、おかしくないかしら?」
 若い妻も同じくエプロン姿だったのだが、彼女は、上の階に住む老人の部屋で、夕飯の支度をしてあげてから戻ったところだ。
「そうか? ……んじゃ、蝶番に油でも差してみようか?」
「そうじゃなくて、建て付けがさあ、歪んでないかしら?」
 若い妻は、そう言うと、食卓の上にあったテレヴィジョンのリモコン装置を取って、音量を少しだけ上げた。
 アパート・葵荘の住所は西五丁目15番なのだが、二~三分歩いた先の中原街道沿いは、元々西三丁目ではなく、かつては領作町、稲棚地区などと称されていたことがあった。江戸時代から農村地帯だった名残だ。二十年ほど前までは、その一帯に大根や長ネギ、キャベツなどの畑が残っていて農家が存在し、都心部では珍しい農協の事務所も置かれていたが、次々と農地が住宅地へと姿を変え、二十軒あまりの戸建住居が立ち並ぶようになっていた。そして、その住宅地が再び次々と買収されるようになって、ついに、この年の初め頃までには、住民の気配が丸切りなくなり、全住居の解体が完了すると、やがて一帯に柵や金網まで張られてしまっていた。秋に入った段階では、西三丁目b3759~c4221と仮番地になっており、かなり大規模な再開発工事が進んでいた。数棟のマンションとオフィス、それとスーパーマーケットなどを一体化した、複合施設を建てる計画になっていたのである。
 テレヴィジョンは、芸能人たちが時事問題をネタにして品悪くふざけようという、どうやら、あまり格の高そうにない番組を放送していた。
“どうなんでしょうね。例の耐震偽装事件ね”
“構造計算書偽装問題っちゅうやつやね?”
「ああ……、それもアレの影響かも知れないね。ほら、あっちの三丁目のほうで、地面にでっかい穴を掘り始めたよね……」
 ――と、若い夫は、食卓の上に、焼いた秋刀魚を乗せた皿を一枚ずつ置いた。
「え? どゆこと? それ?」若い妻が、お椀を二つ食器戸棚から取り出すと、食卓に並べ、
「……このアパート前の私道にだって、舗装が地割れを起こしてるんだろ? ……たぶんそのせいで、昨日……、上の部屋のおじいちゃん、つまづいて転んじゃってさ……」若い夫は、ひと煮立ちさせた味噌汁の鍋の火を止めた。
 テレヴィジョンでは、お笑いタレントが二人で小煩く、競うように口から唾を飛ばしていた。
“あの元・建築士ねえ……、贅沢な暮らしがしたかったからとか、妻が入院してたのに愛人に貢いでいたとか、優秀な建築士としての名誉が欲しかったとか、言ってますよね?”
“そうやね。困ったお人やったんやね、あの元・建築士は……”
“いや、そこんとこが、どうなんでしょうね? あの元・建築士を一番の悪者に仕立てちゃって、とにかく、もうこの手の偽装事件はこれでお終いよと、幕引きをしようよと、裏で糸を引いている黒幕がいるんじゃありませんかね?”
 番組に気を取られ、うわの空だった若い妻が、
「ああ、そうそう、上のおじいちゃんよね……」戸棚から出したのは良かったが、ボウッとして手に持っていたご飯茶碗を、
「……骨とか折れてなくて良かった。でも災難だったわあ」少々慌てた素振りで一つずつ夫に渡した。
「あんな地割れなんて、穴を掘り始めるまで、なかったじゃんか」
 夫は、炊飯ジャーの蓋を開け、炊き上がったばかりのご飯をよそった。
“検査会社の社長さんがね、他にも偽装マンションがあるぞと、いずれ暴露するぞって、えらく息巻いてましたよね”
“あそこの社長はんは、偽装事件とは直接の関係、おまへんかったんやね? それやったのに逮捕されはったのやなあ”
“そう! 他の耐震偽装を隠蔽するために、国の差し金で自分を逮捕させたんだって、怒っていたんすよね”
 夫の問い掛けに対して、
「へ? 地割れが? そうだったっけ?」と、妻はまたも、テレヴィジョンの会話に気を吸われており、うわの空で応えた。
「きっと地盤沈下だよ。地下水の流れが変わったりするんだ。基礎工事なんかで、地面に大きな穴を掘るとね……」
 夫は、確信に満ちた表情で数回頷くと、食卓に並んだお椀を取って味噌汁を注いだ。妻が、冷蔵庫から大根の葉っぱのごま油炒めを出して、ラップを剥いた。
「これ、マヨネーズ、かけてみよっか?」
「大根の葉っぱに?」
「うん、そう」
「やめとけよ。ボクは、そのままがいいよ」と、夫は席に着いた。
“確かにな、あの偽装事件が、たったひとつーってことも、あらしまへんやろが……、そやかてな、他にもぎょうさん出てくるようだと、えらいこってすわ”
“でっしょー? パニックが起りますよね”
“パニックな。そうやがな……。そやから、国が他の偽装を隠そうとしとりまんのかいな?”
「……あ、なに……、おじいちゃん、骨折してなかったんだ? そうか。良かったね」
 腹を空かせていた夫は、そう言うと早速、箸を取って“いただきます”の仕草をした。早く食べたいのだと催促をしているようだった。
「打ち身だけだって。痛むみたいで、動くのがつらそうだけど、しばらく安静にしてたら、良くなるだろうって、お医者さんが言ってたわ……」
 妻も、椅子に腰掛けるや、
「……はい。いただきまーす」
 ようやく、夫婦の食事が始まった。
 夕飯が遅くなったのは、若い妻が親切にも、転倒して打ち身が痛む老人のために、食事の支度を買って出たからだった。
 ――201号室――。
 すなわち、この若い夫婦の真上の部屋に住んでいた老人というのは、実に闊達たる人格で、齢七十三にもなっていたのだが、矍鑠そして颯爽とした容姿風貌だった。
 普段は、スタスタと歩調が軽やかであり、町内会の顔役・世話役なども、そうした務めが、まるでおのれの趣味や生き甲斐でござる――と言いたげに歴任していたらしい。中肉で、骨太で、決してダブ付いていない身体を、いつもヨーロピーアンにまとめた、元・モダンボーイで、現役・お洒落好き系・好々爺だったのである。
 色はベージュの、イタリア製・なめし皮地・鳥打ち帽が大のお気に入りだった。
 大きな病気の経験はなかったそうだが、血圧がかなり高めだと察知した――この階下の若い妻が心配して、大層、親身になってあげたようだ。彼女が、同じアパートに暮らす誼だからと熱心に勧めたので、老人は、医者の診察を受け、降圧剤を処方されていたとのことだった。
 こんにちにしては、まことに人情味の濃い、心温まる話である。
 若い夫婦が話していたアンラッキーな転倒事故というのは、前の晩に町内会の集会所で開かれた“年末防火・防犯パトロール”についての打ち合わせと、その後の小宴会に参加した二階の老人が、遅くなって葵荘へ帰ってくるときに起った。
『ちょいっと呑み過ぎたマッカランのせいですから……』
 ――と、老人は、次の日になった途端、
『……耄碌したわけでは、ありませんわな……』
 英国紳士調の品の良い微笑と一緒に、キューバ産の上等な葉巻を薫らせて、見舞いに訪れた近所の面々を煙に巻いていた。
 もしも、本当に舗装の地割れが、老人転倒の原因だと判断されるのであれば、
「三丁目の再開発工事事務所に、かかった医療費の賠償を請求したほうがいいよ、おじいちゃんの」
 これは大問題になると、若い夫は秋刀魚を突きながら真顔になっていた。
「そうかしら?」
「そうさ! それに……」
 併せて、彼らのアパートが歪んでしまったことに関しても、きっちりと補修を請求するべき大事件に違いないと、
「……大家さんにも、ちゃんと話したほうがいいぞ」
 ビル管理会社に勤める若い夫は、仕事柄だろうか、咄嗟にそこまで発想が連鎖したのだ。
「あら、大変だわ、それじゃ」
「そうさ、大変な問題さ!」
 若い夫婦は、目と目を見合わせ、互いにビッと頷き合った。


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